徒然

”幸福な”日常のまとめ

起きたら集中治療室にいた話

 

 

夢の中というのはどんなことも起こるのだ

だから一凡人の私が大勢の男の人から私自身について詳細に語られることだってありうるのだ。

 

それが夢でなかったとしても…。

 

 

 

 

 

 

 

 

事の発端は六月末。目が覚めたら集中治療室にいた。ここに来た経緯はあまり覚えていないがここにいることがどういうことか私は知っている。

 

 

 

私は死にかけたのだ。

 

 

 

病名はつかなかったが乖離症状であった。

 

つまり私は私自身に殺されかけたことになる。自殺とはまた違った感覚に恐怖と少しの好奇心に支配された感覚のまま私は診察を終えICUを後にした。

 

さて、私が集中治療室で目を覚ましたところからをまず話したい。

 

目が覚めると真っ白な高い天井と動かない体といくつかの体から延びるチューブ。

近視ゆえに時計はよく見えなかったが時計の針が両方とも左側にあり窓の外が明るいことから午前中であることは推測された。しかし日付がわからない。

ナースコールらしきボタンを握らされていたので某人型決戦兵器に乗った主人公のごとく動けと念じてやっと動いた親指がナースコールのボタンを押す。

私が寝たはずの日より二日後の日付を教えられた。

なんかやばいことになっているらしいがなんもわからない。何をやっていたのかわからないしそもそもこんなとこICUにいる時点で何かやべえことはやってるはずなんだけどもわからない。ていうかここ自分の大学の病院やんけ就職どうしてくれるんだ自分。という思考に埋め尽くされる脳。

 

しばらくすると両親が入ってきた。なんか頭覆うやつとかめっちゃつけててそんなことまでして私に会いたかったんかとか考えていた。今思い返すと失礼であるがイカれた奴の思考回路ということで勘弁してもらいたい。何か一言二言しゃべった後すぐ戻っていった。自分が追い返したのかもしれないがその辺は覚えていない。いつの間にかいなくなっていた。

 

また頭がぼーっとしてきたので寝た。寝ていたところを起こされた。寝てるところを起こされるのが一番嫌いなタイプなので非常に機嫌が悪い。精神科医が来たということらしい。しゃあねえなあと起きるとまた両親もいた。まあ自分こんなんだしそんなもんかと思い話を聞いた。

 

まず自分は急性薬物中毒と電解質異常と肝機能障害だそうだ。なるほど服薬自殺か。と冷静だった。

夕方ごろ119番通報があり事件性がありということで救急隊と警察が割といい人数来たらしい。なぜ事件性ありかというと以下の記事を読んでほしい。

 

spleen.hateblo.jp

 

夢のように感じた記者会見は大勢の救急隊と警察官に囲まれたことであったことがわかった。

警察や救急隊に生きづらさとこのまま死ぬのだという話と生きたいという話をしていたとカルテに書かれているよと精神科医は言う。

 

あとは死ぬ前にあなたと話しておきたいと言った人がいるということしか記憶がない。それが誰かも覚えてないが。

 

それはいいとして私は一人暮らしである。救急の通報は誰がしたのかという疑問が残る。まあ結論は出ているのだがそれは認めたくなかった。

自分で死のうとしておきながら自分で救急通報ってダサすぎるでしょ…。

結果として一時的に三人の人格が出ていたということだ。今の私。自殺した私。自殺を止めた私。うーんこれはやばいなと思う。今まで一人で生きていたつもりだったがこんなことになるとは。

 

好奇心もあったが恐怖が打ち勝ったので医者からの入院の勧めにも乗った。

 

精神科の入院には任意、医療保護、措置の三種類が存在する。詳細を書くほど時間がないので個々で調べてほしい。私は任意入院であった。個々の入院形態によって後の人生が変わってしまうことすらあるのだ。

 

ここで外出許可時間が終えそうなのでパソコンを閉じる。入院生活のことについては退院後にまた書こうと思う。

 

 

 

 

 

おもしろい

ねぇ?そう聞く。

 

親は医者をおもしろい先生と言い医者は親をおもしろい両親という。

クラスのあまり関わりのない奴は僕のことをおもしろい奴と言い僕は彼を知らないと言う。

 

何がおもしろいのだろうか。それはfunnyなのかinterestなのか。何に面白さを感じ何が興味深いのか。

 

そもそもお互いに興味深いなどとは思っていないだろうしおもしろいと思ってもいないだろう。

社交辞令なのは重々承知している。

 

会った数分で分かる面白さがあっただろうか。

単に理解の拒否に近い何かを感じてしまう。

 

しまうのだが!!

外見はタブーで内面を出来るだけ玉虫色に褒めようとするとこの言葉が出てくるのは致し方ないのか…と。

いい先生、いい両親であればこんな所で会わないのだ。面白い理解しがたい何かをお互い感じていたのだろう。

生きたように死にたい

死にたいのだけど本質は生きたいでしょ?なんていうメンタルのクソ強靭な方々向けではないです。

 

常々死にたいと申しておりますがとりあえず生きていたくはないのだけれど生きたくないとかいうと自称メンヘラにやさしい方々につかまってめんどくさいことになることは確実なので死にたいって言ってるのです。自称メンヘラにやさしい方々は正直メンヘラ育成に長けているイメージがあるのであまり近づきたくない。囲いのメンヘラが怖い。

 

死にたい、などといろいろ考えて一応答えを出したのはこれ。

 

spleen.hateblo.jp

 

根本的に生きたくない。生きたくない→死にたい。という単純な思考回路になっている。

 

死にたいわけじゃないんだ。少なくとも現状で生きていたくないわけ。

現状変えればええんやろ!と何回か変えてみたけどこれは周りをどうこうして変わるものではなくてこの肉体でこの性格でこの記憶がある限り無理だなって。

 

かといって死んだように無感動で生きていくのはただの自殺より金がかかる分たちが悪い。

まるで僕が生きていたかのように。生き生きとはつらつとして生活している僕の内面はまったくもって空虚であると。

 

自意識もなく残りの生活を周りに提供していわゆるまっとうな最期を迎えさせてやる。

だからこの腐って反吐の出るような思考と何のために経験したんだかわからないことだらけの記憶だけでも消してほしい。

 

 楽しい経験もあるかもしれないがそれも素直に受け止められない人間なのだからそれを享受する権利もなかろう。いいこともわるいこともいらんからもうしまいにしよう。

 

徒然

徒然なるままにパソコンに向かいてカタカタしている。

 

現在時刻は11時を少し回ったところ。

 

大学は午前休なので午後からであるが行きたくない。

なぜ行きたくないかというと診断書付きの休みだけど社会復帰の練習で時々行こうねと言われ来れるなら全部来いよというクソみたいなお言葉と目線をいただくからである。なぜクソみたいな目線をいただくかというとこいつらの俺に対する信頼がゼロだからである。

なぜ信頼がゼロでもこいつらとしゃべるのか。レジュメの最後の砦であるからだ。

もう俺がいいように使っているだけのような気がする。

 

なんでこいつらはアホみたいに俺のレジュメを教授から奪い続けるのだろうか。俺が頼んだからか。律儀な奴らだなあ。そういう人って信頼関係あるんじゃないの?とか言うけどそれとこれは別なんじゃねーの?憐憫を伴ったボランティアみたいな感覚なんだろうな。スマホでワンタップで一人の顔見知りの人生が大きく変わるんだったるする感覚なんじゃないの。

 

ぼっちしようぜ、とお言葉をいただくかもしれない。去年そう思って席も離れて黙りこくっていたが普通に声をかけてきた。きっとお人よしの世話焼きなんだろうな。ああもうかくのもめんどくさいおわり

つらみを感じている

他人が何かしてくれても必ず裏があるとか前提があるって考えるくらい捻くれている

 

親だからとか大学の職員だからとか謝礼金が欲しいとか法律に触れるからとか

 

なにかしら理由があって優しいのだ

無償の愛などではない

 

ただ理由があるからこんなのに構ってくれているのだ

 

こんなのはあなたた達からの愛を受け入れることもできずその辺でのたうちまわっている

こんなのはもう要らないのだ

こんなのにかける情けなどご飯にかけた方がまだマシだ

もっとかけるべき相手がいるだろう…

 

ってなって毎回自殺の準備をして溜息をついて寝る生活をしている

こんなのは今日も生きてる。生きてしまった。

クソポエムにっき

クソポエムなのになんか絶賛される。特にNから。見てんなよ恥ずかしいから(ツンデレ)。

でも褒められたいから書くね!!!!!!自己顕示欲!!!!!!オラ!!!!!!褒めろ!!!!!!!!!!!!

 

という訳でキーボードをガタガタしている。この前ゲームで負け込んで台パンしたら歪んだキーボードは最近よくガタガタと泣くのだ。すまんかった。

 

 

なにもただメンヘラかましてる訳ではなくちゃんとメモしてある。元カノみたいなよくわからん関係の女から「は?くっさw」と蔑まれたポエムメモがある。正直泣くかと思った、帰ってから泣いた。つーかスマホ勝手に開けんなよどうして指紋認証なのに開くの。

 

このポエムは基本的にメンヘラツイートとかそれに付随した事をテテッとまとめたやつなのだ。

 

という訳で、書く。

 

今回はどうしてそんなに死にたがっているのかという事をこう適当にペョッと書いてアレする。

 

僕は特に死ぬ事自体にマイナスイメージはない。死ぬことに付随する事態が嫌なだけ。たぶん死にたいって言ってる時はベストポジションがまだ見つかってなかったりする時かもしれない。

 

これこそタイムリーだが彼女が出来てなぜ死にたいのか。申し訳ないが務めて信じないと人を信じられないタチだ。

たぶん過去の何某とか誰某がのお陰様なんですが。

人は生まれながらに善き精神に基づいて〜とかいう考えはない。僕の周りの人は優しすぎて僕の事を後ろから刺したりしないように努力しているのだ。とか考えてる。

だから死なないでねとか応援してるからとかいう言葉も嬉しいが素直に受け止められない。そんな自分が嫌だ。なんだこのクソ人間…死ぬか。みたいな。この後3ループくらいして結論として死ぬという感じになる。

 

あと普通に過去の清算もしたい。若干の?高度な?解離が一時的に?著しく出るらしく???

記憶がないので分からないが正直そういう時にしてしまった失敗とか無礼は僕ではないが僕なのだが。僕ではない僕が謝罪云々はたぶんしないしその辺の責任まるっと僕がとりますみたいなところもある。わりとつらい。

 

救済としての死、みたいなのもたぶんある。

なぜ死ぬの?

ここが地獄だからさ

はよく言った言葉だと思う。

 

 

死ぬのは決めた。どう死ぬかだ。

 

持論として「生とは緩慢なる自殺である」っていうのがあって。たぶん生きている限り何かしら死に近づく行為は止められなくて。最終到達点として死ぬってあるんだなって思ってる。

 

まあそういう訳で死ぬシチュエーションがほしい。今のところ痛くなければーとか思ってるけど生きることは苦痛を必然的に伴うからまあ死ぬしかないね。うーんここ循環論法。

 

たぶん死にたいって言ってる時は人生の中でわりとピークで嬉しい時かもしれない。そこから先が落ちるだけみたいな。まあ未来はわからないからなんとも言えないけどね。なんとも言えない不安もあるのかな?

幸せのピーク?許容量を超えると折り返しのエイリアシングで負の方にデカく出るみたいな感じ?

100の箱に95くらい入ってれば幸せなのよ。100しかないところに180あって無理に150とかまで大きくするよりも誰かと90ではんぶんこしましょみたいな?わりと日和ってんなコイツ。

そういう感じの。これ以上入んねえ時の自衛みたいなのもあるかも。落差は小さい方がいいのよ。

 

以上です。多分個人的な死にたいアピールはここが主だと思う。今の僕の中では。