徒然

”幸福な”日常のまとめ

金で愛は買えないが

愛で金は買えるの?Twitterで言ってたw

 

『輪舞 - revolution』は良曲だから聴いて

 

そんな話だ

 

男女の愛においては金と愛というのはよくある話なのでここで書く必要もないだろう。そもそもそんな体験がない。

 

今回書くのは「親子」の愛と金だ。

ここからは親の愛を受けたが親の思っている通りに受け取れなかったクソガキの話である。

 

今の状況として。

1度飛び降り自殺のギリギリで我に返りそのまま休学したあの時に今までの全てが、自分の身に起こったと感じてない状況にある。

高校でメンタルやられたあたりから記憶が曖昧だし体は20過ぎかもしれないけど3歳くらいの愛情とかの求め方をしている。びょうきじゃん?

中学小学の親にされたことなんて部活サボって時刻表投げつけられたくらい。

本当に覚えてないが殺されてないのできっとまだ愛されていたのだろう。

 

よって愛情とかがわからん知らん。「愛した」と親は言えども覚えなし。そんな日々である。クソ親不孝なので一刻も早く自死すべきだと思っている。

 

今回いつになくメンタルがやられてしまい愛に飢えている。優しく…せめて優しくしてくれ世の中…。

そんな中、親は言うのだ。「俺と母さんは、私とお父さんは、お前のことを愛している」と。

 

あいあいあい嘘乙!!!!!!!!!オラ!!!!!!!!!殺してくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

人生

人生の実績解除

いわゆるクエストクリアである。

私がそう言ってるだけであって普通の人は将来の夢とかやりたいこと、になったりするのだろう。

 

日本人の人生のテンプレというやつがあるだろう。地域や価値観によって変わるだろうが私の中では小中高大を卒業、結婚、出産、育児、子供の結婚式に親の葬式と、まあこんなものだ。

 

この事を書こうなんて思った時はそのイベントの直後だったのだがいい感じに纏まらずこねくり回してたらここまで遅くなってしまった。

 

さて自分の人生を振り返ってみるとなかなか普通とはいいがたいものであるが、よく回りも見ていると周りも周りで大変な生き様をしている。十人十色百人百様である。

 

普通とは何か。

ラーメン屋で普通といえば成人男性の平均的な1食の量が出てくるし

JKがそれフツウっしょ!とか言ってくれば彼女の常識の中では至って平凡で自然な行為である事を示す。

 

普通の生き様というものは存在しないことに気づいた。

故に私は声を大にして言いたいのだ。私は普通の生き方がしたいと。

贅沢な夢だと思う方もいるかもしれない。

 

夢くらい贅沢したっていいじゃないか

 

 

起きたら集中治療室にいた話

 

 

夢の中というのはどんなことも起こるのだ

だから一凡人の私が大勢の男の人から私自身について詳細に語られることだってありうるのだ。

 

それが夢でなかったとしても…。

 

 

 

 

 

 

 

 

事の発端は六月末。目が覚めたら集中治療室にいた。ここに来た経緯はあまり覚えていないがここにいることがどういうことか私は知っている。

 

 

 

私は死にかけたのだ。

 

 

 

病名はつかなかったが乖離症状であった。

 

つまり私は私自身に殺されかけたことになる。自殺とはまた違った感覚に恐怖と少しの好奇心に支配された感覚のまま私は診察を終えICUを後にした。

 

さて、私が集中治療室で目を覚ましたところからをまず話したい。

 

目が覚めると真っ白な高い天井と動かない体といくつかの体から延びるチューブ。

近視ゆえに時計はよく見えなかったが時計の針が両方とも左側にあり窓の外が明るいことから午前中であることは推測された。しかし日付がわからない。

ナースコールらしきボタンを握らされていたので某人型決戦兵器に乗った主人公のごとく動けと念じてやっと動いた親指がナースコールのボタンを押す。

私が寝たはずの日より二日後の日付を教えられた。

なんかやばいことになっているらしいがなんもわからない。何をやっていたのかわからないしそもそもこんなとこICUにいる時点で何かやべえことはやってるはずなんだけどもわからない。ていうかここ自分の大学の病院やんけ就職どうしてくれるんだ自分。という思考に埋め尽くされる脳。

 

しばらくすると両親が入ってきた。なんか頭覆うやつとかめっちゃつけててそんなことまでして私に会いたかったんかとか考えていた。今思い返すと失礼であるがイカれた奴の思考回路ということで勘弁してもらいたい。何か一言二言しゃべった後すぐ戻っていった。自分が追い返したのかもしれないがその辺は覚えていない。いつの間にかいなくなっていた。

 

また頭がぼーっとしてきたので寝た。寝ていたところを起こされた。寝てるところを起こされるのが一番嫌いなタイプなので非常に機嫌が悪い。精神科医が来たということらしい。しゃあねえなあと起きるとまた両親もいた。まあ自分こんなんだしそんなもんかと思い話を聞いた。

 

まず自分は急性薬物中毒と電解質異常と肝機能障害だそうだ。なるほど服薬自殺か。と冷静だった。

夕方ごろ119番通報があり事件性がありということで救急隊と警察が割といい人数来たらしい。なぜ事件性ありかというと以下の記事を読んでほしい。

 

spleen.hateblo.jp

 

夢のように感じた記者会見は大勢の救急隊と警察官に囲まれたことであったことがわかった。

警察や救急隊に生きづらさとこのまま死ぬのだという話と生きたいという話をしていたとカルテに書かれているよと精神科医は言う。

 

あとは死ぬ前にあなたと話しておきたいと言った人がいるということしか記憶がない。それが誰かも覚えてないが。

 

それはいいとして私は一人暮らしである。救急の通報は誰がしたのかという疑問が残る。まあ結論は出ているのだがそれは認めたくなかった。

自分で死のうとしておきながら自分で救急通報ってダサすぎるでしょ…。

結果として一時的に三人の人格が出ていたということだ。今の私。自殺した私。自殺を止めた私。うーんこれはやばいなと思う。今まで一人で生きていたつもりだったがこんなことになるとは。

 

好奇心もあったが恐怖が打ち勝ったので医者からの入院の勧めにも乗った。

 

精神科の入院には任意、医療保護、措置の三種類が存在する。詳細を書くほど時間がないので個々で調べてほしい。私は任意入院であった。個々の入院形態によって後の人生が変わってしまうことすらあるのだ。

 

ここで外出許可時間が終えそうなのでパソコンを閉じる。入院生活のことについては退院後にまた書こうと思う。

 

 

 

 

 

おもしろい

ねぇ?そう聞く。

 

親は医者をおもしろい先生と言い医者は親をおもしろい両親という。

クラスのあまり関わりのない奴は僕のことをおもしろい奴と言い僕は彼を知らないと言う。

 

何がおもしろいのだろうか。それはfunnyなのかinterestなのか。何に面白さを感じ何が興味深いのか。

 

そもそもお互いに興味深いなどとは思っていないだろうしおもしろいと思ってもいないだろう。

社交辞令なのは重々承知している。

 

会った数分で分かる面白さがあっただろうか。

単に理解の拒否に近い何かを感じてしまう。

 

しまうのだが!!

外見はタブーで内面を出来るだけ玉虫色に褒めようとするとこの言葉が出てくるのは致し方ないのか…と。

いい先生、いい両親であればこんな所で会わないのだ。面白い理解しがたい何かをお互い感じていたのだろう。

生きたように死にたい

死にたいのだけど本質は生きたいでしょ?なんていうメンタルのクソ強靭な方々向けではないです。

 

常々死にたいと申しておりますがとりあえず生きていたくはないのだけれど生きたくないとかいうと自称メンヘラにやさしい方々につかまってめんどくさいことになることは確実なので死にたいって言ってるのです。自称メンヘラにやさしい方々は正直メンヘラ育成に長けているイメージがあるのであまり近づきたくない。囲いのメンヘラが怖い。

 

死にたい、などといろいろ考えて一応答えを出したのはこれ。

 

spleen.hateblo.jp

 

根本的に生きたくない。生きたくない→死にたい。という単純な思考回路になっている。

 

死にたいわけじゃないんだ。少なくとも現状で生きていたくないわけ。

現状変えればええんやろ!と何回か変えてみたけどこれは周りをどうこうして変わるものではなくてこの肉体でこの性格でこの記憶がある限り無理だなって。

 

かといって死んだように無感動で生きていくのはただの自殺より金がかかる分たちが悪い。

まるで僕が生きていたかのように。生き生きとはつらつとして生活している僕の内面はまったくもって空虚であると。

 

自意識もなく残りの生活を周りに提供していわゆるまっとうな最期を迎えさせてやる。

だからこの腐って反吐の出るような思考と何のために経験したんだかわからないことだらけの記憶だけでも消してほしい。

 

 楽しい経験もあるかもしれないがそれも素直に受け止められない人間なのだからそれを享受する権利もなかろう。いいこともわるいこともいらんからもうしまいにしよう。

 

徒然

徒然なるままにパソコンに向かいてカタカタしている。

 

現在時刻は11時を少し回ったところ。

 

大学は午前休なので午後からであるが行きたくない。

なぜ行きたくないかというと診断書付きの休みだけど社会復帰の練習で時々行こうねと言われ来れるなら全部来いよというクソみたいなお言葉と目線をいただくからである。なぜクソみたいな目線をいただくかというとこいつらの俺に対する信頼がゼロだからである。

なぜ信頼がゼロでもこいつらとしゃべるのか。レジュメの最後の砦であるからだ。

もう俺がいいように使っているだけのような気がする。

 

なんでこいつらはアホみたいに俺のレジュメを教授から奪い続けるのだろうか。俺が頼んだからか。律儀な奴らだなあ。そういう人って信頼関係あるんじゃないの?とか言うけどそれとこれは別なんじゃねーの?憐憫を伴ったボランティアみたいな感覚なんだろうな。スマホでワンタップで一人の顔見知りの人生が大きく変わるんだったるする感覚なんじゃないの。

 

ぼっちしようぜ、とお言葉をいただくかもしれない。去年そう思って席も離れて黙りこくっていたが普通に声をかけてきた。きっとお人よしの世話焼きなんだろうな。ああもうかくのもめんどくさいおわり