幸せについて本気の二割くらいの力で考えてみた
なおこの本文は私個人の意見であるのでなんか腹たったら僕に直接言ってください。
あとこういう事なんだよっていうものだからああこの人(僕)はかわいそうなんだなあとか思ってくれても構わないです。
幸せについて考えている。きっかけは昔からの友人(Nくん)に彼女が出来たことだ。
僕にもできた(自己顕示欲)。まあ実際関係あるので
まともな女性と恋愛したことがない僕とまともに女性と恋愛したことがないNである。
恋愛相談もとい自棄酒とともに、二人傷口を舐め合い舐め合いすぎてお互いがお互いを夢の中で舐めあうような仲である。
彼女である。大惨事である。嬉しいのだ。
先にNに彼女が出来た。まともな女性とまともな恋愛を知らない僕は複雑な心境であった。
複雑もなにもイキるNなんだが、仕方ない初めての彼女なんだ。
そう自分に言い聞かせ核のボタンを仕舞った。
少し遅れてだが僕にも彼女が出来た。
概要として二人が同じ立場になった。というわけで今まで思考の域を出なかった状況が現実となったのだ。
ここで芽を出すのが僕のメンヘラである。メンヘラっていうか双極の鬱相なんだけど。
僕のメンヘラの話もあとで書かなきゃ(使命感)
死にたいのだ。何がどうであれこの世のすべてが肯定していようがどんな働きがあれ死にたい。ちょうどいい死に方を探して生きているような日々だ。
そんな僕にNは言った。
「彼女がいるのに死のうとするな。彼女を置いて死ねるのか」
正直な話だが、なんで彼女如きでって話だ。もちろん彼女は大切だ、好きだし愛というには未熟かもしれないが愛している。それは事実だ。
「両親祖父母そしてNと周りの環境全部置いて今まで死のうとしてた人間が彼女の一人や二人で死ななくなると思うなよ」
反論である。反論であるが僕はいう気力もなにもなくてそのままにした。Nへ、もし見ているならこれが僕の答えだ。
ここからは僕の憶測だ。
多分君はパズルが完成して幸せなんだろう。きっと壮大なパズルだ。何万何億というピースで出来ているんだろう。そのピースが見つかってパズルが完成して幸せなんだ。きっとすべてが大切なんだろう。
ここまで仰々しく語っておきながら自分の幸せについて考えたことがなかったので苦慮している。 6/6
なんとか答えは出せた。たぶん僕は1つ1つが幸せで部屋のインテリアみたいなものだ。一時期は暖炉があったりまた一時期はベッドがあったり。今もあるかもしれない。使い捨てというわけではない。写真に撮って残しているかもしれない。ただ手元を離れるだけだ。
彼女と結婚するのが決まった訳でもなく、彼女が今までどれほど愛されたか知るわけもなくただ己の愛という形を叩きつけるだけなのだ。みたいな事を言ったら「ドライなのね」と笑われた。6/8
なんだこのクソポエムは。と思ったがもう書いたもんは書いたので公開することにする。6/9