自己の連続性について
さて、皆様ニンゲンは昨日の自分と現在の自分が同一の存在であると強く確信できていますでしょうか。
じゃあ昨日とは言わず一昨日、先週、2か月前、一昨年、5年前、11年前、23年前、それぞれは同じ自分ですか?
骨を折った、手術で切った、欠けた、削った、ありませんでしたか?
骨のアライメント違いますけど同じ人ですか?
扁桃ありませんけど同じ人ですか?
歯の治療痕違いますけど同じ人ですか?
まあ精神も同様ですよね。
各種精神疾患の罹患はありませんでしたか?
投薬治療で急に人が変わることはありませんでしたか?
昨日の晩御飯憶えていますか?
今は何月何日ですか?
どんなに人が変わったと、人格が変わったとしても物理的特徴があれば同じ人であると。死体だって銀歯とか骨の癒着とかで同じ人っていうもんね。
僕がどんなに狂って、街中で見ないふりをするような人たちと同じ行動をしていたら。君がどんなに狂って、自分の左腕を切り刻んでいたら。
そうしたら、人が変わったようだって、お前は俺の知ってるお前じゃないって。
うるせ〜〜〜〜俺の顔知ってるだろ物理的特徴一緒だろ?
ならん?死体には好き勝手いいこと言って思い出語るのに?
死体は実害が出ないから?金払えば合法的に処分できるから?
同じ記憶をデータとして持った大容量記憶デバイスは同じ人ですか?って
同じ記憶で同じ言動を出力してたら同じ人なんですか?
何を以て自分と言うのか、それは本当に続いているのか
世界5分前仮説みたいだね
あれ
夜が明けない 夜が明けない
朝が忘れ去られ 闇が日常になる
あたりまえが消えた時
在るのはあたりまえが消えたあたりまえの日々
ニンゲンは忘れられたときに死ぬという
もう会えないニンゲン達は 死んでしまったと同義であろう
歩く僕の 半径85センチメートルが
僕の世界だというならば
電子の海の向こう側 君もあいつもあの時も
きっと零れた 虚構の現実なのだろう
時々刻々と日々は過ぎ あの日の僕らはもういない
喧々囂々と話す僕らは もうあの時の僕らじゃない
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最近の僕の中のトレンドらしいですね、諸行無常。ニンゲンは、結び離れ愛し憎み許し許され生きていくものだから。
人の想いが変わって、人の形が変わって。じゃあ、今きみと話してると思っていてもそれは全くの別人じゃないか。思ってることも見た目も変わってたらそれは他人で、名前は連続性を担保するだけの符号じゃないかって。最近思うことが増えましたね。
愛の言葉を交わして、将来を共に描いたあの夜のあの場所の君はもういない。今の君は僕を憎んで嫌って許さずにもう話してもいないから。君にとって僕はもう死体なんだ。
別に恋人だなんだにもかかわらず友人が、親族が、なんてよくある話だと思うんですよね。
同窓会で会ったら急になれなれしいいじめっ子とか片っ端から勧誘かけ始めた宗教にハマったオタク仲間とか。そういうニンゲンは名前があるから経時変化を体感してしまう。名前も知らず街中で会えば滅茶苦茶に馴れ馴れしい金髪ヤンキーとか、そういう扱いになってしまう。嫌悪感も忘れて友人になるかもしれない。ニンゲンの社会性なんてそんなもん。
正月に帰ったら祖父は僕のことを理解していなかった。幼少期の僕の記憶はあるけれど今の僕は祖父の中では死体と変わらない存在なんだなって。
単純接触効果とかエビングハウスの忘却曲線とかって、割と実体験に現れるんだなと変なタイミングで納得してしまった。
やっぱり大事なニンゲン達には近くで高頻度でお話ししていたいな、死体になりたくないなと利己的な主張をして今回のブログはおわり!!!!!!!!
間違いなく明日に向かっていく
きっと素敵な明日だから
死にたくない
まだやり残したことがあるんだ
最近変わったなって思うところではある
一度死んでしまった身だからもう生きる意味が見いだせなかった
どうして生きているんだろう
一度死んでしまった身のくせに
死ねばいいんだ
なんて思っていた
結局人間というものが好きで
結局世界の美しさに圧倒されて
結局明日の可能性を信じてしまって
結局君を愛して
結局明日も生きてしまうんだな
惰性じゃない
一度しかないこの春を
死ぬ気で生きている
妹的なお前へ
いつの間にか君に彼氏ができてる。
早く別れろと思いつつ、性格が悪いなと自嘲する。その男に幸せにしてもらえると思ったんだろう。
どうして僕じゃなかったんだろう
もしもその男がいなければ
もしも君がいなければ
こんなに思い悩むこともなかった
わかってるわかってる
別にどうなっても僕が選ばれることがない事くらい
ただ、ちょっと遠くに行ってしまった君に寂しさを覚えている
いつまでもあの頃の君と僕というわけにはいかないんだなぁ
少し、僕の傲慢な庇護欲に付き合ってくれてありがとう
君の愚痴から何まで聞いてあげたかった
君の哲学やそのメロディーを守れると自惚れていた
少し僕の元は離れるけれど、やっぱりいつまでも応援しているし味方でいるよ
幸福な恋愛をしてください
そしていつか幸せですと、君の惚気話から聞けたらいいなと思っています
門松は冥土の旅の一里塚
あけました、おめでとうなのか
まあ、生きていたい人たちには幸せなんだろう
なんで生きてるかわからない、でも生きていたい。幸せになりたい。
今年の目標。
幸せになる。
果たして年末にどんなブログを書いているのやら
深夜一時、歌舞伎町、ネカフェ
別にどうってことはない
よくある家に帰りたくないだけ病
さみしいだけ
結局なにも進歩しなかった
2年前のように服薬自殺を図り
昨年のように愛と自己満足の区別もつかず
先月のように破滅の道を歩いている
歌舞伎町、今年に入ってからもう何回来ているだろうか
眠らない街というのは意外と少ない
太陽光は厳しい、でも一人で暗闇を歩きたくない
そんな時、勝手に声をかけてくるキャッチ
煌々と夜空を照らすキャバクラの看板
それが救いだった
そんな街に魅かれて
差し出せるものなんて何もないけど
なけなしの生活費を握りしめて
そっと夜の街を歩くのだ
一度捨てた命に価値などない
殺したければ殺せばいい
むしろこの握りしめた拳の中の
数枚の紙きれのほうがよっぽど
意味などない
価値などない
そう言い聞かせていた自分に
紙切れが価値をくれる
誰がために生きるか
結局わからないまま
今日も心臓は鼓動を繰り返している
何のために生きるか
結局考えないまま
今日も延命の薬を飲み眠りにつく
愛とか恋とか
愛だとか恋だとか。そんなものに振り回される人生なんて。
そう、思っていた。
17の頃までは死ぬほど恋をしていた。
叶わぬ恋に命を断とうとした。
破れた恋に枕を濡らした。
それが今はなんだ。
好きを切り売りして、みんなに媚び諂って。
誰からも本気で相手にされず。
誰をも本気で相手にしない。
自分が1番恋愛というものから逃げている事に気づいた。恐れている事を。
そんな事に気付かされた。
本気で向き合ってくれた人に感謝を。