喪主をしたくない話
祖父が死んだ。敬意を払って亡くなった、とも言うべきか。この辺の話も後々したい。
本題に入るが、私は喪主がしたくない。家族仲が悪いとかそう言うものではない。個人的見解の中で単に喪主がしたくないだけである。
葬式に列席した最初の記憶は中学生の時、曽祖母の式だ。曽祖母と会話をした記憶もほとんどなく、ただ死んだ後の処理のように感じていた。
この時の親族の会話の一部が今回の表題に繋がる。
「お前が喪主をするような時もいつか来るんだ」
喪主。
曽祖母の式では祖父が務めたそれである。
果たしていつのことだろうか、めんどくさいのではないか。当時のまだ思春期真っ只中の坊主はそんなことしか考えていなかった。食べ盛りと言うことで通夜振る舞いは美味いものがいい、などと考えてた。今でも考えている。
しかし喪主である。主なのだ。
まったくもってしたくない。筆頭で故人が故人であることを証明しなくてはならない立場だからだ。
私はまだ曾祖母も祖父も亡くした憶えはないしこれからも亡くしたくはない。
死から目を背けているだけかもしれないがそれでも誰かが死んだと声を張り上げて歩く立場にはなりたくない。そう思いながら祖父や祖母を想った。