徒然

”幸福な”日常のまとめ

代弁者

小学校から習う〜の気持ちになって考える、ということ。

同調圧力がかけやすくなるとか没個性になるとかよく議論になるアレであるが今回は少し見方を変えて話す。

 

ここ数年で身内の不幸がいくつかあった。

ここで故人が考えるであろうことを残された我々が考える事も多々起こりうるわけだ。

この時、自分の考えた故人の思いを恰も故人が考えた事のように話すのは自制するべきだと思う。

自分の言動について多角的に考える時、故人の知恵を借り、反省のために思考のうちに止めるのはよいのだ。しかし、その考えを外に出した瞬間に言葉と思考が故人のものとしてなってしまう。

死人に口なしとはよく言うがまさにその通りになる。相手が生きていたりすれば反論もできるだろう。

しかし、死者となった時に後付けで精神が創造されていくのは逆に故人への暴力ではないか、と思うのだ。愛玩動物に対しても然り。

 

我々日本人が日本語を話せない自分より弱い立場の者への思考は一方的な暴力であるのだ。