徒然

”幸福な”日常のまとめ

大きな話

ここ数日、新歓で食べ放題飲み放題によく行く。私は食べ専なので酒はあまり嗜まないのだがよく食べる。普通に朝と食後で体重が3kg変わるとかザラである。

 

少し下品な話で申し訳ないが、食べるということは出るということである。食事は対消滅でエネルギーを捻出できれば凄まじい効率で行動でき排出も少ないのでは、などと考える。しかし私は人間なので食べたら出る。これは真理なのだ…。

 

この出す過程で我々現代人を苦しませるのがトイレ問題である。3kgも飲み食いした私のトイレ問題は日本に於いて最低限文化的な生活を維持する上で非常に重要なものだ。

 

実家は田舎なのでコンビニも公衆トイレもなく、あるのは田んぼのみであった。しかし幸いな事に田舎なので食べ放題などという都会的なスタイルを取り入れた殊勝な飲食店などほぼ皆無である。故に私は急な便意における対処法をほとんど知らない。

そんな私のトイレ事情を少し話したい。

 

まず金曜日にサークルの花見があった。食べ放題とは書いてあったが持ち寄りの会であったので量はなかった。問題は立地である。花見で人が多い中で広大な公園の少ないトイレは必然的に埋まる。また野外なので腹が冷える。

公園から自宅まで約3km、途中にコンビニ等トイレ施設は無し。公園内のトイレは埋まっておりそれらを回ったので総歩行距離は5kmを超えると推定できる。

道中は必死であった。肛門括約筋をフルに引き締め、かつリラックスを心がけた。しかしどうしても急いでしまう。走る時の癖で若干左足に重心が寄るのだかそれにより左右不均等の揺れが起こり便意が指数関数的に高まる。高まる鼓動、はち切れんばかりの肛門、振り絞る肛門括約筋、流れ出る冷や汗、震える鍵を開ける手。

家のトイレのドアを銭形警部よろしく開けトイレを目の前にした瞬間であった。少し出た。

人は過度な緊張から抜けると体の力が抜けるなどよく聞くが、ここも緩むのかという思考が駆け巡った。変に完璧主義なのか、一度ダメになると全てがどうでもよくなるタイプである。しかし自宅といえ後片付けが必要な限り誰かに迷惑がかかるのでそれはよくない、よくないから気合入れろ、と涙目で便器に座り用を足した。

力んだらちょっと吐いた。踏んだり蹴ったりである。

 

そんな話である。この世の常とはいつでも常ならぬものと隣り合わせであると感じた。