徒然

”幸福な”日常のまとめ

おもしろい

ねぇ?そう聞く。

 

親は医者をおもしろい先生と言い医者は親をおもしろい両親という。

クラスのあまり関わりのない奴は僕のことをおもしろい奴と言い僕は彼を知らないと言う。

 

何がおもしろいのだろうか。それはfunnyなのかinterestなのか。何に面白さを感じ何が興味深いのか。

 

そもそもお互いに興味深いなどとは思っていないだろうしおもしろいと思ってもいないだろう。

社交辞令なのは重々承知している。

 

会った数分で分かる面白さがあっただろうか。

単に理解の拒否に近い何かを感じてしまう。

 

しまうのだが!!

外見はタブーで内面を出来るだけ玉虫色に褒めようとするとこの言葉が出てくるのは致し方ないのか…と。

いい先生、いい両親であればこんな所で会わないのだ。面白い理解しがたい何かをお互い感じていたのだろう。

生きたように死にたい

死にたいのだけど本質は生きたいでしょ?なんていうメンタルのクソ強靭な方々向けではないです。

 

常々死にたいと申しておりますがとりあえず生きていたくはないのだけれど生きたくないとかいうと自称メンヘラにやさしい方々につかまってめんどくさいことになることは確実なので死にたいって言ってるのです。自称メンヘラにやさしい方々は正直メンヘラ育成に長けているイメージがあるのであまり近づきたくない。囲いのメンヘラが怖い。

 

死にたい、などといろいろ考えて一応答えを出したのはこれ。

 

spleen.hateblo.jp

 

根本的に生きたくない。生きたくない→死にたい。という単純な思考回路になっている。

 

死にたいわけじゃないんだ。少なくとも現状で生きていたくないわけ。

現状変えればええんやろ!と何回か変えてみたけどこれは周りをどうこうして変わるものではなくてこの肉体でこの性格でこの記憶がある限り無理だなって。

 

かといって死んだように無感動で生きていくのはただの自殺より金がかかる分たちが悪い。

まるで僕が生きていたかのように。生き生きとはつらつとして生活している僕の内面はまったくもって空虚であると。

 

自意識もなく残りの生活を周りに提供していわゆるまっとうな最期を迎えさせてやる。

だからこの腐って反吐の出るような思考と何のために経験したんだかわからないことだらけの記憶だけでも消してほしい。

 

 楽しい経験もあるかもしれないがそれも素直に受け止められない人間なのだからそれを享受する権利もなかろう。いいこともわるいこともいらんからもうしまいにしよう。

 

徒然

徒然なるままにパソコンに向かいてカタカタしている。

 

現在時刻は11時を少し回ったところ。

 

大学は午前休なので午後からであるが行きたくない。

なぜ行きたくないかというと診断書付きの休みだけど社会復帰の練習で時々行こうねと言われ来れるなら全部来いよというクソみたいなお言葉と目線をいただくからである。なぜクソみたいな目線をいただくかというとこいつらの俺に対する信頼がゼロだからである。

なぜ信頼がゼロでもこいつらとしゃべるのか。レジュメの最後の砦であるからだ。

もう俺がいいように使っているだけのような気がする。

 

なんでこいつらはアホみたいに俺のレジュメを教授から奪い続けるのだろうか。俺が頼んだからか。律儀な奴らだなあ。そういう人って信頼関係あるんじゃないの?とか言うけどそれとこれは別なんじゃねーの?憐憫を伴ったボランティアみたいな感覚なんだろうな。スマホでワンタップで一人の顔見知りの人生が大きく変わるんだったるする感覚なんじゃないの。

 

ぼっちしようぜ、とお言葉をいただくかもしれない。去年そう思って席も離れて黙りこくっていたが普通に声をかけてきた。きっとお人よしの世話焼きなんだろうな。ああもうかくのもめんどくさいおわり

つらみを感じている

他人が何かしてくれても必ず裏があるとか前提があるって考えるくらい捻くれている

 

親だからとか大学の職員だからとか謝礼金が欲しいとか法律に触れるからとか

 

なにかしら理由があって優しいのだ

無償の愛などではない

 

ただ理由があるからこんなのに構ってくれているのだ

 

こんなのはあなたた達からの愛を受け入れることもできずその辺でのたうちまわっている

こんなのはもう要らないのだ

こんなのにかける情けなどご飯にかけた方がまだマシだ

もっとかけるべき相手がいるだろう…

 

ってなって毎回自殺の準備をして溜息をついて寝る生活をしている

こんなのは今日も生きてる。生きてしまった。

クソポエムにっき

クソポエムなのになんか絶賛される。特にNから。見てんなよ恥ずかしいから(ツンデレ)。

でも褒められたいから書くね!!!!!!自己顕示欲!!!!!!オラ!!!!!!褒めろ!!!!!!!!!!!!

 

という訳でキーボードをガタガタしている。この前ゲームで負け込んで台パンしたら歪んだキーボードは最近よくガタガタと泣くのだ。すまんかった。

 

 

なにもただメンヘラかましてる訳ではなくちゃんとメモしてある。元カノみたいなよくわからん関係の女から「は?くっさw」と蔑まれたポエムメモがある。正直泣くかと思った、帰ってから泣いた。つーかスマホ勝手に開けんなよどうして指紋認証なのに開くの。

 

このポエムは基本的にメンヘラツイートとかそれに付随した事をテテッとまとめたやつなのだ。

 

という訳で、書く。

 

今回はどうしてそんなに死にたがっているのかという事をこう適当にペョッと書いてアレする。

 

僕は特に死ぬ事自体にマイナスイメージはない。死ぬことに付随する事態が嫌なだけ。たぶん死にたいって言ってる時はベストポジションがまだ見つかってなかったりする時かもしれない。

 

これこそタイムリーだが彼女が出来てなぜ死にたいのか。申し訳ないが務めて信じないと人を信じられないタチだ。

たぶん過去の何某とか誰某がのお陰様なんですが。

人は生まれながらに善き精神に基づいて〜とかいう考えはない。僕の周りの人は優しすぎて僕の事を後ろから刺したりしないように努力しているのだ。とか考えてる。

だから死なないでねとか応援してるからとかいう言葉も嬉しいが素直に受け止められない。そんな自分が嫌だ。なんだこのクソ人間…死ぬか。みたいな。この後3ループくらいして結論として死ぬという感じになる。

 

あと普通に過去の清算もしたい。若干の?高度な?解離が一時的に?著しく出るらしく???

記憶がないので分からないが正直そういう時にしてしまった失敗とか無礼は僕ではないが僕なのだが。僕ではない僕が謝罪云々はたぶんしないしその辺の責任まるっと僕がとりますみたいなところもある。わりとつらい。

 

救済としての死、みたいなのもたぶんある。

なぜ死ぬの?

ここが地獄だからさ

はよく言った言葉だと思う。

 

 

死ぬのは決めた。どう死ぬかだ。

 

持論として「生とは緩慢なる自殺である」っていうのがあって。たぶん生きている限り何かしら死に近づく行為は止められなくて。最終到達点として死ぬってあるんだなって思ってる。

 

まあそういう訳で死ぬシチュエーションがほしい。今のところ痛くなければーとか思ってるけど生きることは苦痛を必然的に伴うからまあ死ぬしかないね。うーんここ循環論法。

 

たぶん死にたいって言ってる時は人生の中でわりとピークで嬉しい時かもしれない。そこから先が落ちるだけみたいな。まあ未来はわからないからなんとも言えないけどね。なんとも言えない不安もあるのかな?

幸せのピーク?許容量を超えると折り返しのエイリアシングで負の方にデカく出るみたいな感じ?

100の箱に95くらい入ってれば幸せなのよ。100しかないところに180あって無理に150とかまで大きくするよりも誰かと90ではんぶんこしましょみたいな?わりと日和ってんなコイツ。

そういう感じの。これ以上入んねえ時の自衛みたいなのもあるかも。落差は小さい方がいいのよ。

 

以上です。多分個人的な死にたいアピールはここが主だと思う。今の僕の中では。

 

幸せについて本気の二割くらいの力で考えてみた

なおこの本文は私個人の意見であるのでなんか腹たったら僕に直接言ってください。

あとこういう事なんだよっていうものだからああこの人(僕)はかわいそうなんだなあとか思ってくれても構わないです。

 

幸せについて考えている。きっかけは昔からの友人(Nくん)に彼女が出来たことだ。

僕にもできた(自己顕示欲)。まあ実際関係あるので

 

まともな女性と恋愛したことがない僕とまともに女性と恋愛したことがないNである。

恋愛相談もとい自棄酒とともに、二人傷口を舐め合い舐め合いすぎてお互いがお互いを夢の中で舐めあうような仲である。

 

彼女である。大惨事である。嬉しいのだ。

先にNに彼女が出来た。まともな女性とまともな恋愛を知らない僕は複雑な心境であった。

複雑もなにもイキるNなんだが、仕方ない初めての彼女なんだ。

そう自分に言い聞かせ核のボタンを仕舞った。

 

少し遅れてだが僕にも彼女が出来た。

 

概要として二人が同じ立場になった。というわけで今まで思考の域を出なかった状況が現実となったのだ。

 

ここで芽を出すのが僕のメンヘラである。メンヘラっていうか双極の鬱相なんだけど。

僕のメンヘラの話もあとで書かなきゃ(使命感)

 

死にたいのだ。何がどうであれこの世のすべてが肯定していようがどんな働きがあれ死にたい。ちょうどいい死に方を探して生きているような日々だ。

そんな僕にNは言った。

 

「彼女がいるのに死のうとするな。彼女を置いて死ねるのか」

 

正直な話だが、なんで彼女如きでって話だ。もちろん彼女は大切だ、好きだし愛というには未熟かもしれないが愛している。それは事実だ。

 

「両親祖父母そしてNと周りの環境全部置いて今まで死のうとしてた人間が彼女の一人や二人で死ななくなると思うなよ」

 

反論である。反論であるが僕はいう気力もなにもなくてそのままにした。Nへ、もし見ているならこれが僕の答えだ。

 

ここからは僕の憶測だ。

多分君はパズルが完成して幸せなんだろう。きっと壮大なパズルだ。何万何億というピースで出来ているんだろう。そのピースが見つかってパズルが完成して幸せなんだ。きっとすべてが大切なんだろう。

 

 ここまで仰々しく語っておきながら自分の幸せについて考えたことがなかったので苦慮している。 6/6

 

なんとか答えは出せた。たぶん僕は1つ1つが幸せで部屋のインテリアみたいなものだ。一時期は暖炉があったりまた一時期はベッドがあったり。今もあるかもしれない。使い捨てというわけではない。写真に撮って残しているかもしれない。ただ手元を離れるだけだ。

 

彼女と結婚するのが決まった訳でもなく、彼女が今までどれほど愛されたか知るわけもなくただ己の愛という形を叩きつけるだけなのだ。みたいな事を言ったら「ドライなのね」と笑われた。6/8

 

なんだこのクソポエムは。と思ったがもう書いたもんは書いたので公開することにする。6/9

 

僕は呪われた村人A

瀕死である。かろうじて動く右手とギリギリの意識で捻り出している。

呪いがやっと全身を冒して僕はこれから途轍もない苦しみを味わう予定だ。

誰が呪いをかけたか?両親祖父母友人先生、多分もっといる。とても強力なものだ。
強力なクセに詠唱が簡単なので非常に困る。僕の状態異常欄は200スクロール分くらいになってしまっている。

「死んではいけないよ」
「幸せになってね」

行動時必要HPとMPが2倍になる呪いと毎ターン終了時MP半減である。

勇者であれば魔王を倒して呪いを解いて姫様と結婚して富と信頼を築けるのだろうが僕は村人Aである。

精神はイかれて「死にたい」なんて思わない日などない。されど死ぬ事は赦されない。
今の苦痛は幸せとは程遠い。死ねたら幸せなのだろう。なんて思う。だって幸せになってって言われたもん。でも死ねない。

精神疾患持ちの戯言と一蹴してくれても構わない。恐らくそういう人は今後無意識に呪いをかけ続ける。
共感してくれた人がいるかもしれない。生きづらいしどうなるかもからない。僕は暇な身なので何かあれ場多少の話は聞ける。
初めて自分が呪われていたことに気づいた人もいるかもしれない。恐らく知らない方が幸せな類の情報だった。すぐ忘れなさい。そして何も知らないまま昨日と同じ今日を生きて欲しい。