徒然

”幸福な”日常のまとめ

個人的な その1

暇なのでメンタルが死んでいたころの話をする。ぶっちゃけいうと現在進行形でまだよくわかってないので今ももしかしたらダメなままかもしれない。

 

私は子年のB型のRh+で職業は学生のメンヘラみたいなことをしている。

 

メンタルは17の冬に大崩壊したがそこの高校に入るまでの話をする。

 

某県庁所在地で生まれたのち父方の祖父母の家と母方の祖父母の家を行ったり来たりしたのちに小学校に入学する。

 

小学校低学年は母方の祖父母の家から通っていた。祖父は教育者でありリタイア後ということもあったが私のことをよく考えてくれていた。と今は思っているが結構厳しく毎日半泣きであった。また昭和ヒトケタであったが大卒でありいわゆるエリート的な生き方がベストだと常々言っていた。ゆえに私もそのように生きるものだと思っていた。この辺で性格の根幹はゆがみ始めた気がする。

 

小3の時に両親の仕事の都合で引っ越した。県内での引越しではあったが割と大きな県だったので文化圏が違った。人の名前はほとんど覚えないタイプなのであまり馴染めなかったうえにガキ大将の家の近くということでいじめの対象になることにあまり長い時間は要さなかった。クラス替えのある5年生までは地獄であった。

また引っ越し先は父方の祖父母の家の近くでよく面倒を見てくれていたが乳幼児のころであるし私は記憶がないのでやけになれなれしいなと思ってかなりきつく当たっていた。

 

小5前くらいからやっと馴染むことができた。地元のバスケクラブにも入りそれなりに友人も増えた。結構やんちゃしていた時期だったが割と懐かしかった。この時の友達の姉が私を見事に地獄に引きずり込んでくれた。

 

地元からお受験して進学する人も何人かいたが遠くまで電車乗っていくのもめんどくさいのでそのまま公立中学に進学した。中学といえば部活である。先輩後輩という関係にビビっていたが私の部活はほぼ決まっていた、吹奏楽部である。前述の友達の姉が部活の話をしたときにその場のノリであったが吹奏楽もいいなと言った。破滅が始まった。放課後、みんながどの部活にしようかと話しているときクラスが急にどよめいた。女子の先輩三人が呼んでいるから来いというものだった。四月早々に呼び出しなんてこいつは何をしたのかみたいな目線が痛かった。案の定吹奏楽部へ連行された。

 

それからは凄惨なものだった。サボれば母親から時刻表を投げつけられ受験前の先輩からは八つ当たりで3時間説教され同期はドロドロした人間関係で派閥とかやばいし直属の先輩からはなんか知らねえけどめっちゃいじめられて楽器ほとんど吹けなかった。地獄か?吹奏楽部は体育会系。これはガチ。あと女の子怖い、無理。ぶっちゃけここだけで2万文字くらい書けるのだが割愛させてもらう。

 

受験勉強とかあんまり覚えてないけどとりあえず受かったので良かった。本当に覚えてない、記憶がない。たぶん時空飛んでる。

 

気が付いたら地元の公立高校の理数科みたいなとこにいた。この高校こそ僕の人生の大転換点をいくつも超えた舞台である。

 

疲れたのでこの辺で終わりにしてまた書きます。

 

 

代弁者

小学校から習う〜の気持ちになって考える、ということ。

同調圧力がかけやすくなるとか没個性になるとかよく議論になるアレであるが今回は少し見方を変えて話す。

 

ここ数年で身内の不幸がいくつかあった。

ここで故人が考えるであろうことを残された我々が考える事も多々起こりうるわけだ。

この時、自分の考えた故人の思いを恰も故人が考えた事のように話すのは自制するべきだと思う。

自分の言動について多角的に考える時、故人の知恵を借り、反省のために思考のうちに止めるのはよいのだ。しかし、その考えを外に出した瞬間に言葉と思考が故人のものとしてなってしまう。

死人に口なしとはよく言うがまさにその通りになる。相手が生きていたりすれば反論もできるだろう。

しかし、死者となった時に後付けで精神が創造されていくのは逆に故人への暴力ではないか、と思うのだ。愛玩動物に対しても然り。

 

我々日本人が日本語を話せない自分より弱い立場の者への思考は一方的な暴力であるのだ。

大きな話

ここ数日、新歓で食べ放題飲み放題によく行く。私は食べ専なので酒はあまり嗜まないのだがよく食べる。普通に朝と食後で体重が3kg変わるとかザラである。

 

少し下品な話で申し訳ないが、食べるということは出るということである。食事は対消滅でエネルギーを捻出できれば凄まじい効率で行動でき排出も少ないのでは、などと考える。しかし私は人間なので食べたら出る。これは真理なのだ…。

 

この出す過程で我々現代人を苦しませるのがトイレ問題である。3kgも飲み食いした私のトイレ問題は日本に於いて最低限文化的な生活を維持する上で非常に重要なものだ。

 

実家は田舎なのでコンビニも公衆トイレもなく、あるのは田んぼのみであった。しかし幸いな事に田舎なので食べ放題などという都会的なスタイルを取り入れた殊勝な飲食店などほぼ皆無である。故に私は急な便意における対処法をほとんど知らない。

そんな私のトイレ事情を少し話したい。

 

まず金曜日にサークルの花見があった。食べ放題とは書いてあったが持ち寄りの会であったので量はなかった。問題は立地である。花見で人が多い中で広大な公園の少ないトイレは必然的に埋まる。また野外なので腹が冷える。

公園から自宅まで約3km、途中にコンビニ等トイレ施設は無し。公園内のトイレは埋まっておりそれらを回ったので総歩行距離は5kmを超えると推定できる。

道中は必死であった。肛門括約筋をフルに引き締め、かつリラックスを心がけた。しかしどうしても急いでしまう。走る時の癖で若干左足に重心が寄るのだかそれにより左右不均等の揺れが起こり便意が指数関数的に高まる。高まる鼓動、はち切れんばかりの肛門、振り絞る肛門括約筋、流れ出る冷や汗、震える鍵を開ける手。

家のトイレのドアを銭形警部よろしく開けトイレを目の前にした瞬間であった。少し出た。

人は過度な緊張から抜けると体の力が抜けるなどよく聞くが、ここも緩むのかという思考が駆け巡った。変に完璧主義なのか、一度ダメになると全てがどうでもよくなるタイプである。しかし自宅といえ後片付けが必要な限り誰かに迷惑がかかるのでそれはよくない、よくないから気合入れろ、と涙目で便器に座り用を足した。

力んだらちょっと吐いた。踏んだり蹴ったりである。

 

そんな話である。この世の常とはいつでも常ならぬものと隣り合わせであると感じた。

 

 

 

 

 

新年度が始まったので

新しく何かをしよう、と思っていた。

最初から上手くいくわけもないがとりあえず始めるという意思は見せねばならぬ。

 

気がついたら4月2日となり今年度も締め切り後にレポートを提出するような生活になりそうな事を暗示しているようだ。